「発達障害者」なんて辞めてしまおうという話
- 作者: 綾屋紗月,河野哲也,向谷地生良,Necco当事者研究会,石原孝二,池田喬,熊谷晋一郎
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2013/01/31
- メディア: 単行本
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発達障害ってなんだよ
「発達障害」つらいですね。
私はは二年ほど前に都内某病院でADHDと診断されましたが、いまだにその「存在」への距離感が掴めずにいます。
まず、症状の継続性がなさすぎる。これは「当事者研究」の研究者で有名な綾屋さんも言ってたきがしますが、その特性が浮上したりしなかったりするので、周りに理解されにくい。
それから、二次障害との区別がしにくい。
多くの発達障害当事者の人は、欝や不安障害などのいわゆる二次障害を持っている人が多いんじゃないでしょうか。私もそのひとりでパニック障害を長年抱えています。
でも、これが「多分ね・・」としか言えなくて、実はADHDと診断を受ける際に、結構あいまいな形で担当医師から対応されたんですよね。
WAIS-Ⅲ(成人向け知能検査)では、能力の大きな凸凹が見つかったんですが、それでも医師からは「ASDではないから、ADHDかな~」みたいに言われたりして。それが後に尾を引いて、ただでさえクソわかりにくい二次障害との区別がさらにわからなくなっている状態です。
これが本当にきつい。というのも、なにか上手くいかないことが続いた場合に、その原因がADHDという「治らないもの」にあるのか、パニック障害(不安障害)にあるのかが判断できないので、対策が立てづらいんですよね。
そんな僕が休職しているという話
という感じで、わけのわからない発達障害らしいものを持っている僕は現在休職中です。なんで休職したのは現時点ではわからないのが現状です。ここでいう、わからないというのは、「何がストレスになっていたか」ということだけでなくて、それが前述したようにADHDにあるのか、その二次障害にあるのかわからないので、現時点で判断不可ですわ、っていう意味です。休職期間が思ったより、苦労が多いので、その経験の中で得たものを、このブログとおして書いていきたい所存でございますね。
前書きなげえよ。はい、本題です。
ごちゃごちゃね、長かった。書いてる本人としても方向性が散らかりつつあったので、戻しましょう。
みなさん、発達障害捨てましょう。
って感じの題名でしたよね確かね。いや本当に僕も含めて、仮にやめちゃおうぜって本当に思ってます。すべてやめろといっているわけではありません。
発達障害が、あなたのアイデンティティなのか、呪いなのか、はたまた、ただの名前なのか、人それぞれあると思いますが、共通しているのは僕も含めて苦しんでいる、生き辛さを感じてるってことです(発達障害、チョー気持ちいい!見たいな人がいたらぜひ話し聞かせてください。)。
みなさん、発達障害をかっこ「」というゴミ箱に捨てましょう。
このゴミ箱はあなたの意思に反して、集積所に運ばれていったりしない優秀なものなのでご安心を。
具体的にいきましょうか。僕は、いったん「発達障害の特性だからかも・・」という自動思考を、一時停止して「」のなかに入れて保留してみてほしいんです。フッサール的に言えば、エポケーですね。
ぼくたちわたしたち当事者は、この「発達障害の特性だからかも・・」という思考によって、大きなものを失ってしまってると思う(もちろん僕もね)。
それは、実験精神です。
ぼくたちは(特に成人後に診断受けた人)、「発達障害」というものを、受け入れる体制が整ってないランキング断トツ1位な存在なんですよ。それは本人がというだけでなく、親などの家族がというのもあるけどね。これはそうでしょう。だって「生きづれえなあ」「なにか絶対おかしいなあ」って20年以上生きてきて、「はい、ADHDっす」「はい、ASDっす。治るものではないです。」って言われて、混乱しないほうがおかしいですよね。家族も「ああ、私たちが悪かったのかも、どうかもわからないけど、子供は発達障害だったらしい。」といった内容を、「オッケーっす」って了解できる親がどこにいるのかってなわけです。
といった感じで、発達障害と診断された僕たち私たちはどういう行動、思考をするのか?
日々の生活であいも変わらず起き続ける、困りごとに対して「これは発達障害だからなのか?いやそうじゃないのか?」という宝探しに赴くわけです。そりゃそうだ、だって発達障害わけわかんねーもん。原因が器質的なものにどれくらいあるのか人によって代わり続けているんだぜ、この障害。(精神医学系だと珍しくもないか)
しかし、この宝探しきりがない。しかもクソ疲れる。仕事の邪魔になるレベルなんですよね。
じゃあ泣き寝入りしないといけないのか?というと、ひとつ希望の路線があると僕は思っている。それは、先に書いたような実験精神を診断前以上にパワフルに発揮することだ。この発達障害界隈での実験精神という概念は、べつに僕が考えただけのことなんかではなく、当事者研究やオープンダイアローグといった流れ(ここで初めて知った人はググってみてね)の中心を貫いているものだ。もちろんこの二つは別にさまざまな要素が歩けど、つまり僕はその二つの中から自助スキル向上のヒントとして、「これは発達障害だからなのか?いやそうじゃないのか?」をゴミ箱へ保留して生活をすることで「実験精神の復活とそれによる生きづらさの軽減」を提案したい。
もちろんこれだけみると、発達障害に関する知識を自発的に学ぶことの否定になるんじゃないか的なことや、いやいや発達障害だから生きにくいんであってそれを仮にでも捨てろとか、お前精神論振りかざしてくるうちの親と変わらんぞ!という反論が出てくるかと思います。
しかし、そういったことでは全然ないということを今後説明しつつ、みんなで生き延びようというブログにしていきたいと思っています。